瀧廉太郎銅像たきれんたろうどうぞう

廉太郎と直入郡高等小学校の同窓であった彫刻家朝倉文夫あさくらふみおにより昭和25年(1950)に作られました。文夫は、57年前の記憶を蘇らせながら作成したことが、岡城二の丸に立つ銅像の裏側に刻まれた碑文からわかります。



学校の式場でオルガンの弾奏を許されていたのも君。裏山で尺八を吹いて全校の生徒を感激させたのも君。それは稲葉川の川瀬に和した忘れることのできない韻律であった・・・・