朝倉文夫の 碑文ひぶん

      瀧君とは竹田高等小學校の同窓であった。
     君は十五才、自分は十一才、この二つに教室は丁度
     向かい合っていたので、僅かに一年間ではあったが印象
     は割合に深い。しかしそれから君のなくなるまでの
     十年間は、ほとんど何も思ひ出せないのに、十一才乃
     印象を土苔にして君の像を作ろうというのである。
     多少の不安を抱かぬでもなかったが、製作に着手
     してみると、印象はだんだん冴えて来て、古い記憶
     は、再び新しくなり、追憶は次から次えと蘇る。
     學校の式場でオルガンの弾奏を許されていたのも君、
     裏山で尺八を吹いて全校の生徒を感激させたのも君、
     それは稲葉川の川瀬に和した忘れる事の
     出来ない韻律であった。そして八年後には
     一世を劃した名曲「四季」「箱根山」「荒城の月」に
     不朽の名を留めたことなど、美しい思い出の中に
     楽しく仕事を終わった。
       昭和二十五年八月十五日  朝倉文夫識
            今自分は五十七年前の童心に立ちかえり
            幽懐つくるところをしらず
            君をツクれば笛の音や将に月を呼ぶ