広瀬武夫ひろせたけお

軍神と崇められた広瀬武夫は1868年(慶応4年)竹田市茶屋ノ辻で誕生しました。海軍を志願し、1891年(明治24年)海軍少尉になり1897年(明治30年)ロシア留学が命じられました。当地においてロシアの風土、文化、軍事、産業の見聞を豊富にすると共に、イギリス・フランス等ヨーロッパの状況も把握していたようです。1904年(明治37年)に日露戦争が勃発し、旅順港で戦死しました。享年37歳でした。広瀬武夫は、軍神ぐんしんとしてだけではなく、彼の残した航海日誌・報告・書簡などに、非凡な文学的才能が伺えます。特にロシア留学時にその才能が多く見出され、文人として見られる大きな影響を与えたと言われています。