初めての軍神 広瀬 武夫ひろせたけお

日露開戦当時、東洋における両国海軍の戦力を見ると日本軍がやや優勢でした。だがロシアには、ヨーロッパに控えるバルチック艦隊と黒海艦隊があり、両艦隊を加えると勢力は日本の倍近くになり、立場は逆転してしまいます。日本軍は合流前に東洋の艦隊を撃滅し、黄海、日本海の制海権を早急に握る必要がありました。これは、日本が、主戦場と見ていた満州への物資補給を円滑に行うためです。そこで、古い大型汽船などを旅順の港口こうこうに沈めロシア艦隊の航行を不能にしようという作戦が実行されました。艦隊を港内に閉じ込める「港口閉塞作戦」です。この奇略は開戦前から密かに練られていましたが、旅順要塞の砲攻撃をかいくぐって港口に接近し、自沈させて帰還するのは至難の業です。結局、3回の作戦遂行で目的地に沈下できた船は数艘のみでした。この難局のなか、日露戦争で初めての「軍神」が誕生しました。広瀬武夫少佐(死後、中佐に昇進)です。広瀬は3月27日の第2回作戦で出撃しました。艦は港口の最も奥まで潜入して自沈しましたが、部下の杉野上等兵曹の姿が見えないのに気づいた広瀬は沈みゆく船の中を最後まで探索し、その最中に敵弾に倒れ、帰らぬ人となりました。その勇気、死をも恐れぬ行動が日本軍人の範とされました。彼が外面的な栄誉に全く無関心で、酒と女をしりぞけ、ひたすら軍務に没頭した(ドイツ人医師ベルツの評)ことも「軍神」と称された理由の一つだと考えられます。ところが第2次世界大戦後、女性嫌いで知られた広瀬にも、ロシア駐在時代にロシア海軍少将・コヴァレフスキーの次女・アリアズナとの熱烈なロマンスがあったことが、明らかになりました。祖国同士が争うことになるとは露ほども知らない2人の恋は人々の感動を誘い、「軍神」広瀬中佐の意外な一面を伝えるエピソードとなりました。