岡藩主おかはんしゅおたまや公園

 岡藩主おたまや公園は、藩主の菩提寺であった碧雲寺へきうんじの墓地内にあります。当時の碧雲寺は、寺院の建物が連立する区域と歴代藩主、老職、歴代住職等の墓域・池・庭から構成されていました。現在の碧雲寺は、当時の姿を留めている庫裡くりを中心とする一部です。碧雲寺は、岡城の北西に位置し、稲葉川を挟んで岡城と対峙しています。稲葉川が洪水により氾濫し、土砂が堆積した土地に、岸壁を背に寺院が造営されています。初代藩主中川秀成なかがわひでしげは、この地に慶長17年(1612)春、お茶屋の普請に取り掛かり、その一施設として禅堂の建設を試みたようですが、同年8月14日に岡城内で死去しました。そこで、この地を菩提寺としての再普請が行われ、同年に2代藩主久盛ひさもりによって建立されています。 また、城下町の南東に位置する杣谷の東岩寺より雲室禅師うんしつぜんしが招かれ秀成の葬儀を行い、碧雲寺の初代住職となっています。寛永10年(1633)には寺領として100石を受けています。碧雲寺の伽藍配置は、創建時の様相を知ることは出来ませんが、江戸時代終わり頃には、正面に本堂を置き、本堂の左に庫裡を設け、これらを廊下でつなぎ、この間に玄関がありました。玄関の正面方向に庫裡より伸びて書院が設けられ、本堂右には、廊下でつながった4間×9間の長い建物が設けられていました。この建物の裏に近接して、禅堂があり、これらの建物の周辺に墓地群がありました。このような伽藍配置は、江戸時代に多く見られる壇越寺だんえつじ様式といわれるものです。岡藩主おたまや公園は、藩主の墓地と龍吟池りゅうぎんいけを中心とする庭園を保存整備した史跡公園です。藩主墓地の玉垣、土塀、門や龍吟池の復元を行い、江戸時代の墓地庭園を偲ばせる整備が行われています。