日本書紀にほんしょき

「古事記」は天皇家の歴史を語る(天皇家の由来と正当性を子孫に伝える)ために、いわば私家版の史書として大和朝廷が編纂へんさんしたものに対し、国家の公式歴史書として書かれたのが「日本書紀」です。「古事記」と同様に天武天皇てんむてんのうによって発議され、681年(「天武てんむ10年)、川島皇子かわしまのみこら12人の皇族・貴族によって編纂へんさん事業がスタートしました。「古事記」に遅れること8年の720年(養老4年)、舎人親王とねりしんのうの手によって30巻の大作にまとめられ、女帝・元正天皇げんしょうてんのうに献上されました。天武天皇の時代は、日本が律令りつりょうという法の整備を行い、独立国家としての地位を強固にしていた時期でした。したがって、正史は中国(とう)を含む東アジアに通用する形に整えることが必要で、日本語を漢字で表現した「古事記」と異なり、中国の正史に従い年代を追って漢文で書かれています。全30巻は、最初の2巻が神代に当てられ、説話的物語は「一書あるふみには―――」という書き出しで始まる注書にとどめられています。このため、「古事記」には残された朝廷に都合の悪い記述は容赦なく削除されました。反面、3巻以降は中国、朝鮮の文献も引用されてより客観性の強い記述がされています。「古事記」より長い持統天皇じとうてんのうまでの歴史が語られ、他に資料がほとんど無いことから「謎の4世紀」と呼ばれる時代を含む古代史研究にとって貴重な資料となっています。