八代岡藩主中川久貞(なかがわひささだ)公が江戸から岡藩に招いた儒学者・唐橋君山(からはしくんざん)が中国蘇州寒山寺の楼門を模して造営し、幕府の命による豊後国誌(ぶんごこくし)の編纂に取り組んだところです。途中病死したため、田能村竹田(たのむらちくでん、)や伊藤鏡河(いとうきょうが)がこれを引き継ぎました。1798年(寛政10年)に着手し1803年(享和3年)に完結しました。