明治の作曲家瀧廉太郎(たきれんたろう)が竹田時代の2年4ヶ月を過ごした居宅です。この旧宅は武家屋敷でしたが1891年(明治24年)廉太郎の父・瀧吉弘(たきよしひろ)が直入(なおいり)郡長として赴任し、その居住地となりました。廉太郎を偲ばせる遺品や記録が公開されています。